休日の朝から
自分の子供と所属するスポーツ団体の子供達に
付き添い世話をし見守る
小さな集まりが前年から倣うを積み重ねながら
組織をなし個人から集団の
それぞれの中に公私各人ルールをふまえて
役割を実行し大会を行なっている
子供達は様々に そこにいる
大人達は様々に そこにいる
そしてこの空間が成立している
平和という具体的な現れとは
平和を具体的に行う暮らし
役割をもち目的をもち暮らす
保護者個人の慎みと感情の整理が最低限必須
子ども同士の社交の学びを見るともなく見守る
ごく少数 時折個人的な混乱を吐き捨てる為に
子どもを利用する保護者がいる
非常に痛ましい大人である
そういった思考手段のまま大人になってしまい
誰もが手の差し出しようがない状態になるべくしてなっている
そのように公の場で私情を丸出しにしてしまう大人もいる
あなたの為だけに世の中があるわけがないでしょう?と
思わず問いかけそうになるが 私はあいにく親族でも血縁でもないので
放任しいないものとしている
この手の人は気遣いや優しさにつけこんでくるタイプの典型の大人だからだ
季節の行事や盆や彼岸の存在の意味
供養とは 想像もつかない遠い始祖までも微笑ませる供養を思い浮かべる
私達が平和を実行することに大切な意味があり
それが積み重なりその空間が手で縒りをかける縄のように
つながり続いていくことなのだとあらためて思った
時代とスタイルが変わっても 平和とは
本質的な 根底から生み出されていくものは 微かな優しさや慈しみからであると私は思った